[最高の贈り物]-03-


「誕生日を祝われるのも悪くはないね」

 目を細めて手の中の箱を見つめながらホームズが言った。その横でパイプをふかしていたワトスンは心底嬉しそうな顔で友人の顔を見つめる。

「それにしてもメンデルスゾーンとは――」
「済まない。少々趣味に走ってしまって」
「いや、十分すぎるほど素晴らしい贈り物だよ」

 そう言うと手の中で箱のふたを開ける。愛らしいオルゴールの音色が室内に溢れ出す。

「『春の歌』か。君はこの曲が好きだねえ」
「君の好きな曲を探したんだが、見つからなかったんだ」

 数軒ほど回ったんだが、とワトスンは残念そうに付け足した。

 コンコン。
 ふいにノックの音が響いて、促されたハドソン夫人がトレイを運んできた。

「まあ、可愛らしい音ですこと」
「そう言ってもらえるとこちらも嬉しいですよ」
「ワトスン先生も素敵な贈り物をなさったんですのね。ホームズ先生もなくさないように気をつけられないと」
「……ちゃんと寝室のサイドテーブルに置いておきますよ」

 先日も大騒ぎをしたのか、ハドソン夫人の言葉にホームズはばつが悪そうに呟いた。

「さあさ、お二人とも。お茶が入りましたよ」

 テーブルの上に置かれたティーカップからは芳しい香りが立ち上り、先ほどのオルゴールの音の代わりに部屋の中を満たしていく。
 部屋を出て行くハドソン夫人を見送ると、二人で暖炉の前に陣取り、淹れたての紅茶を味わう。

「平和で何よりだ」
「平和だって?」

 ふいにそう呟いたワトスンにさっと言葉を返してホームズはさも嘆かわしいと言ったかのように手を大きく振った。

「まったく、最近はなんでこうも暇なんだろうね。去年の十二月、そうだ、もう一ヶ月近くも何も起こらないとは! どうやらこの街の犯罪者たちは僕が仕事をなくして飢え死にしてから行動を起こそうという魂胆らしい」
「ホームズ。たまにはいいじゃないか。第一、君は少しばかり働きすぎだよ」
「そうかね? 僕は全然働いた気になどなってはいないんだが。――こんな状態では、鉛筆を探す仕事でも何でもいいから引き受けたくなってしまうよ」

 そこまで言うとホームズはちらりとワトスンを見て。

「まあ、君のいう平和にほんの少しだけなら浸ってみてもいいかもしれんがね」

 友人の機嫌が悪くならないようにと思ったのか、そう言ってソファの上に放り出していたバイオリンへと手を伸ばした。

 軽く音を合わせてから聞こえてきた曲は、ワトスンが贈ったオルゴールと同じメロディ。少し癖のあるその音色から生み出された音に、ワトスンはほっとため息をつくと目を閉じた。
 しばしの間、221Bの居間は小さなコンサートホールへと変わる。波のように繰り返される旋律がやがて大きなうねりとなりクライマックスを迎える――演奏がふいに止んだのはちょうどその時だった。

「ホームズ。どうかしたかい?」
「どうやらレストレード警部が平和を打ち破りに来たらしい」
「いいや。そうじゃないよ」

 珍しくそう言ったワトスンにホームズは不思議そうな視線を返す。

「ではどういうことだと思う?」
「君の誕生日を祝いに来たのさ」
「僕の?」
「そうさ。彼にもぜひ来るように誘っておいたんだ」

 自信満々にそう言い切られてホームズはよほど驚いたらしい。しかし、その顔もまた元の自信ありげな表情へと戻って。

「なら賭けてみるかい?」
「もちろん!」
「では、僕は事件に五シリング」
「私は誕生日祝いに五シリングだ」

 互いにテーブルの上に硬貨を投げ出すと、階段を上がってくる足音を聞きながら、扉が開かれるのを今か今かと待ち構える。やがてノックの音が響き、ホームズの声と共にレストレードが顔をのぞかせた。

「やあ、ホームズさん、ドクター、こんばんは。ドクター、せっかくお誘いくださったのに遅くなってしまってすみませんね。ちょっと仕事がありまして……。ああ、ホームズさん、お誕生日おめでとうございます」

 そう言ったレストレードが対照的に変化したホームズとワトスンの顔を見てぎょっとする。

「あの、何かありましたか?」
「いやいや、何でもないんだよ!」

 そう言いながら嬉しそうにテーブルの上のコインを回収したワトスンの横でホームズはむすっとしたままレストレードに椅子を勧める。その間もレストレードはどこか居心地が悪そうな顔をして二人の顔を見比べていて。

「警部。どうかしたのかい?」

 不思議そうな顔をしたワトスンがそう問いかけると彼はその顔に似合わない愛想笑いを浮かべた。

「あの、それがですね……」

 自分に集中した四つの瞳に怖気づきながらレストレードがおずおずと口を開いた。そして、彼の口から告げられた言葉を聞いた瞬間、先ほどとは逆の表情がホームズとワトスンの顔に浮かぶ。

「警部! これはまた最高のプレゼントだね!」

 嬉しそうに頬を上気させたホームズの横、ワトスンがぶすっとむくれてポケットの中にしまいこんだ10シリングをテーブルの上に戻す。それをさっと横から奪い取ってホームズはいそいそと自分の寝室に向かって部屋を横切った。扉を開ける瞬間の彼の顔はそれはもう幸せに満ち溢れていて。

「ワトスン! 何をしてるんだい。早く支度をしてクロムウェル・ロードに急ごうじゃないか!」


THE END