[砂の城]


 ムカシムカシ
 砂デデキタオ城ニ
 王子様トオ姫様ガ暮ラシテイマシタ

 二人ハイツモ幸セソウデシタガ
 砂ノオ城ハトテモ脆クテ

 アル日突然
 洪水デ崩レテシマイマシタ





 カノンが、動けなくなった。

 夕食を済ませてリビングでくつろいでいた時。
 喉が渇いたといってキッチンへ消えていった。

 そのままだった。

 音の聞こえなくなったのを不審に思ってキッチンに入った時。
 すでにそこに倒れて動かなかった。



 それから3日間意識のないまま過ごし、意識を取り戻しても体はほとんど言うことをきかず。
 聖域に常駐している医者にも原因はわからなかった。

 ただ、動かない。

 それだけのことで。





 何かを伝えようとカノンの瞳が揺らぐ。

「どうした? 喉が渇いたのか?」

 僅かに動く首がたてに振られる。

 それを確認してアイスピッチャーの中の水をグラスに注ぐと、中のレモンを揺らしながら、透明の雫がグラスの空間を埋めていく。

 今、カノンが唯一受け入れられる潤い。
 グラスに注がれる一滴一滴がカノンの命を繋いでいる。

 土気色をした唇にグラスを押し当てると小さく喉が鳴り、少しずつ水が飲み込まれていく。
 軽く背中をさすってやると小さく息を漏らして、その後静かに目を閉じた。

 倒れてからほとんど栄養を摂取していない体は、筋肉を落とし、脂肪を燃やし、みるみる細くなっていく。
 あれだけしなやかな筋肉に覆われていた体は、やがて病人のそれへと変貌していく。

 あの時までは確かに動いていたのに。
 あの時までは笑顔が絶えることはなかったのに。

 あの時までは永遠かと思えるくらい、幸せに包まれていたのに。



 どっと疲れてカノンの横に置いた自分のベッドに転がった。
 そっとその手に指を絡ませると、ぴくりと指が動いて握り締めようとする。

 しかし、力を感じることはない。

 ただ、添えられるように指が私の手の甲に覆いかぶさるだけ。


 どうして。カノンだけが。

 外には日の光が溢れているというのに。

 どうしてカノンだけがその光を浴びられないのだろう。

 すでに、誰に戒められることもなく、どこまでも自由の身であるのに。
 やっと手に入れた自由を楽しむこともなく、こうしてベッドに縛り付けられて。

 己の体でさえも満足に動かすことができぬまま。



 イッソ殺シテアゲヨウカ。

 鎖で縛られたこの肉体から。

 セメテ、魂ダケデモ自由ニシテアゲヨウカ。



 手が自然とカノンの首筋へ伸びていく。
 そしてその細さを確認するように回されて。


 一瞬。手に力を込めた。





「できるわけがない」

 この私に。

「何よりも愛しいお前を……」

 手にかけることなど。

 私の目から零れた雫がカノンの頬を濡らしていく。
 まるでそれをなすりつけるように頬を合わせ、その体を抱きしめる。冷たい唇に己のそれを這わし、次々と頬や目蓋に口付けを落とす。

 やがて見開かれた藍の瞳は、まっすぐに私を捉えて。
 それはまるで全てを見透かしているようで。

「すまない……」

 耳元で囁くと、まばたきの気配がした。

「愛してるよ」

 まるで頷くように。

「だから」

 私ヲ置イテ逝カナイデ。

 温かな雫が頬に触れた。


 頬に触れる涙は、まるで彼の気持ちを代弁するかのように。

 いつまでも、とめどなく。
 まるで私を包み込むかのように。





 脆クテ儚イ砂ノ城
 イツカハ崩レユク砂ノ城

 ソレデモ二人ノ愛ハ
 崩レルコトナクイツマデモ


 ソノ命ガ尽キル時マデ


THE END