[go on]


「この瞬間が幸せだから」
 そんな理由で人は時を止めたいと願う。
 この瞬間を、永遠のものにできるのなら、と。

 だが、そんなのは御免だ。
 だって、それでは今の幸せが全てみたいだろう?
 この先にある幸福全てを捨ててしまうということだろう?

 だから、時なんて止まらなくていい。
 望むことはただ一つ。共に生き続けていたい、ということだけなのだから。



「どうした、カノン?」

 含み笑いを込めた目でサガが聞いた。未だ情事の後の気だるさを引きずったままの弟に向かって。

「そんなによかったのか?」
「馬鹿を言え」

 しかめっ面で返したカノンはふいに枕元の時計を見上げ、ふう、とため息をついた。
 時計の針は零時を少し回り、新たな一日を今日も刻み続けている。それはいつもと変わらない光景なのだ、が。

「……お前のせいで過ぎてしまったじゃないか」

 普段そうするように頬を膨らませたカノンの言葉に、ようやくサガも時計を見上げた。
 なるほど、彼が言うようにすでに日付は変わっていた。そして、ついでにカノンが言いたかったことも理解してサガは苦笑する。

「お前は本当に、子供のようなやつだな」

 柔らかな金髪を撫でると、子供扱いされたことに腹を立てたのか、ますますカノンの顔色は不機嫌さを増す。
 これだから子供っぽいと言うのだ――いっそのことそう言ってやろうと思ったが、へそを曲げている彼に対してそう言うことは、まさしく火に油を注ぐようなもの。まずこの部屋から叩き出されるのは目に見えている。

 しばらく膨れたままだったカノンは、ついにそれも面倒になったのかついに目を閉じた。

「何だ? もう寝るのか?」
「ああ」
「今日は休みだというのにか?」

 その言葉にカノンがぴくりと反応する。サガがそれを見逃すはずがなく、畳み掛けるようにこう続けた。

「まったく、教皇がせっかく下さった休みだというのに……。しかも特別な日だというのに愛想のないやつだ」

 あえて独り言のようにそう言うと、カノンが恨みがましい視線を投げかけてきた。

「……随分な言い様だな」
「さて? 何がかな? 私はただ独り言を言ったまでだが」
「目の前でごねられたら気にもなるだろう」

 あまりの効果にサガはそっとほくそえむ。しかし、カノンにもそれがわかっているのだろう。これ以上挑発には乗らんとばかりに、再びその蒼い瞳をまぶたで覆う。

「勝手に言っていろ。俺は寝る」

 ごそごそとシーツを引き上げると、完全に頭まで覆い隠す。放って置いたらこのまま朝まで目を覚まさないだろう。
 しかし、そんなカノンの僅かながらの反抗がサガの気持ちを燃え上がらせた。

 同じようにシーツをかぶり、薄闇の中に見えたカノンの唇を奪う。押しのけようと腕を伸ばしたカノンの隙をついて、その体を抱きしめると、頭を後ろから押さえつけて振りほどけないようにする。
 やがて、口内に忍び込んだサガの舌がカノンの舌を絡め取った。何度か吸い上げたりした後、息をつかせるために唇を離す。その瞬間、カノンが息を吸い込む音が聞こえ、まるでそれを合図にしたかのように、もう一度深く口付ける。
 何度かそうしているうちにやがて観念したのか、カノンの抵抗がぴたりと止んだ。代わりにおずおずとサガの首に腕を回し、すがりつくかのように身を寄せてくる。

 この仕草がたまらなく愛しい、とサガは思う。自分もこのような行為に慣れているわけではないが、相手はさらに慣れておらず、しかも普通の男なら一生体験することのないような立場だからか、ひどくたどたどしく、いまだにまるで初めて体を合わせるかのような錯覚に陥らせる時がある。

 ――だからこそ、余計に独占欲がわくというものなのだが。

「……サガ?」

 ふいに腰の辺りをまさぐっていた手の動きが止まり、カノンは目の前の顔をまじまじと見た。普段ならばすぐにでも上に覆いかぶさってくるくせに――つい先刻もそうだったというのに――なぜかサガはカノンの顔を見つめたまま微動だにしない。

「おい、どうした――」
「このまま」

 カノンを見つめたままサガが続ける。「時が止まってしまえばいいのに」


「――と、言った歌があったな」
「……は?」
「私はそれを聞いて、何とも言えぬ悲しさに襲われたのだ」

 ふとカノンから視線を外すとサガはごろりと横になった。そして、聞いた時の気持ちやなぜそう思ったのかをとうとうと語った。
 やがて、言いたいことを言った満足感でふう、とため息をつくと、カノンの髪にそっと触れた。

「だから、私は時を止めたいなどとは思わんのだ。
 こうして、来年も再来年も、遠い未来、私たちが老いて死に至るその瞬間まで、お前と生きている喜びを感じたいからな」

 そして、ぽつりと呟いた。

「カノン。誕生日おめでとう。お前と今生きていることを誇りに思う」

 心地よいテノールが耳に響く。他人が間違えるほど自分と似ている声。だが明らかに違いのある声。それを十分味わった後、カノンもまたサガの方へと向き直る。

「……ずるいぞ」
「何がだ?」

 向けられた弟の顔はあくまで表面上は不機嫌を装っていた。しかし、その瞳に宿る感情は異なるもので。

「俺が先に言ってやろうと思ってたのに」

 そしてまた、兄と同じように呟く。

「サガ。誕生日おめでとう。その――俺もサガとこうやっていられることを幸せに思っている」

 照れのためかシーツに潜り込もうとしたカノンにサガの声が降る。「こうして、肌を合わせていることがか?」
「……茶化すな、バカ」

 しかし、幸せそうにカノンの髪を撫でるサガにはそれも届かない。その顔を見ているとだんだん、自分が少し拗ねたことなどどうでもよく思えてきて、カノンもその蒼い瞳を幸せそうに細めた。


THE END