[初恋]-03-


「どうじゃ? 綺麗じゃろう?」

 四人が降り立った山の頂上は素晴らしい眺めで、眼下にはアテネの町並み、空には満点の星空がある。

「すごい……」

 思わず感嘆の声をあげた三人をシオンは嬉しそうに見つめて。

「この間たまたま来た時にな、あまりにも見事じゃったからぜひ皆にも見せてやろうと思っておったのじゃ」
「ありがとうございます」
「いや、礼には及ばん」

 言葉を交わすシオンとサガの横で、アイオロスはただ町並みを眺めるカノンの横顔を見ていた。サガとそっくりなその顔はしかしどこか違っていて。

(ほんとにかわいいなあ……)

 しばらく見惚れていて、ふと視線を落とすとカノンの小さな手が見えた。その時、触れてみたい衝動に駆られてアイオロスは恐る恐る手をのばす。
 彼の心臓は今にもはちきれそうで、緊張のせいか手が微妙に震えているのがわかる。

 そして。そっとその手に触れた瞬間カノンが振り向いた。

「あ……」
「カノンちゃん……」

 互いに頬を染めて俯く。しかしカノンの手はしっかり握られたままで。
 どうしたらいいのかわからないカノンと、もうどうにでもなれと思っているアイオロスは、しばらくの間言葉もなく俯いたまま手を握り合って。

「あ、あの……ッ!」

 何かを言わなければいけないと思ったアイオロスが口を開いた瞬間。

「どうじゃ、アイオロス。好きなおなごの手を握った感想は?」
「お前、顔が真っ赤だぞ?」

 二人の背後でくすくすとシオンとサガが笑っていた。

「―――――!」

 慌てて手を離したアイオロスを見て二人は我慢できなくなったのか、口を開けて大きな声で笑い出した。

「な、何がおかしいんですかッ!」

 真っ赤になったまま食ってかかっても効果はなく、二人は思いのままに大笑いするとようやく息を落ち着けた。

「こんなに笑ったのは久し振りじゃ!」
「いい加減にしてください!」

 頬を膨らませシオンを睨むとアイオロスはカノンの方を見る。そこにはサガにしがみつくカノンの姿。アイオロスはその光景に少なからずショックを受けた。

「カノンちゃん……」

 呆然と呟くアイオロスの目をカノンは一瞬見ると、またサガの首にしがみつく。そんなカノンの頭をサガはそっと撫でてやりながら。

「すまんな。人馴れしていないのだ。うちの弟は」
「…………お、弟?」

 今のは幻聴かと思うような言葉がサガの口から零れる。

「う、嘘だ……」
「いや。この子は私の双子の弟、カノンだよ」
「色々と事情があってな、今まで隠しておったのだ」

 信じられない言葉をようやくアイオロスが理解した時。


 ぽたっ。

 アイオロスの瞳から零れ落ちたそれを皆が見つめる。
 それはアイオロスの頬を伝うと地面へ落ちて弾けた。

「あれ? 俺なんで泣いてるんだろ……?」
「アイオロス……」

 ごしごしと手でこすってもそれはひっきりなしに零れていく。

 その時。アイオロスの頬に何かが触れた。アイオロスが目を開けるとそこにはカノンの姿。しかも自分の頬に触れて涙をぬぐってくれていて。

「カノンちゃん……」
「昨日、してくれたから、その……。お返し……」

 消え入りそうな声でそう言うとカノンははにかんで、優しくアイオロスの頬をなでた。その笑顔はまるで天使のようで。

「カノンちゃんッ!」
「うああああ!」

 急に抱きしめられたカノンが叫ぶ。

「ああ! やっぱカノンちゃんが好きだッ!」
「うわーん! お兄ちゃーん!」
「まだそんなことを言っとるのか!」
「私のカノンに何をするー!」

 恐がって泣き出すカノンと二人を引き剥がそうとするサガとシオンを無視して、アイオロスはひたすら自分の幸せに没頭していた。
 淡く消えてしまった初恋。それでもアイオロスの胸は幸せでいっぱいだったのだ――。





「じゃあ、行ってくるからいい子にしてるんだぞ」
「うん!」
「お昼には戻ってくるからね!」
「うん! いってらっしゃい!」

 迎えに来たアイオロスと一緒にサガは家を後にする。あの夜以来、アイオロスはきちんと毎日、訓練前にサガを迎えに来るようになった。もちろんカノンに会うためである。
 結局、シオンの目論み(?)通り、アイオロスはカノンの友人という立場をゲットしたのだった。

 見送りに出てくれたカノンに手を振りながら、二人はいつものように闘技場へと足を運ぶ。

「いや、でもやっぱりいいね」
「何がだ?」

 急に意味不明なことを口走るアイオロスにサガは訝しげな目を向けて。

「いや、さ。『いってらっしゃーい』とか言われたら新婚みたいだなあって……うわあッ!」

 いきなり殴りかかってきたサガを悲鳴と共に間一髪のとこで避け、アイオロスは近くにあった瓦礫に身を潜める。

「危ないじゃないか!」
「お前が馬鹿なことを言うからだ」
「馬鹿、馬鹿ってお前いつもそれだよなあ? そんなにカノンちゃんを取られんのが悔しいのか?」
「当たり前だ、この馬鹿! 私の大事なカノンをお前如きに渡せるか!」
「バカはそっちだ! 兄弟は結婚できないんだよ!」

 口を尖らせて文句を言うアイオロスを見てサガはいかにも馬鹿にしたような笑みを向ける。

「――ッ! 何がおかしいんだよ! 俺はカノンと結婚する!」
「そんなのは私が許さんから不可能だ!」
「不可能を可能にするのが黄金聖闘士だ!」
「馬鹿者。黄金聖闘士だからといって何もかもできるわけではない」
「ふん。サガにできないことでも俺はできるんだぜ?」
「何? ――どうせそのちゃちな飾り物の羽で空でも飛べるとか下らんことを言うんだろう」
「な……。何をぅ!」

(ほんとの鳥みたいだな……)

 ますます口を尖らすアイオロスを見て、サガはそう思っていたりして。

 カノンをめぐるサガとアイオロスの攻防戦はまだまだ続きそうである。


THE END