[Person Unknown]-02-
話を聞いた時、思わず俺は笑ってしまった。「よく俺の誕生日を覚えていたな」と言うと、「もう十年近く祝ってきたのに忘れないわけがない」という答えが返ってきた。そういえばそうだ。家族を失った者がほとんどだから、せめて誕生日くらいはと言い出したのは確かに俺だ。どうしてそんなことを言ったのかは覚えてないが、きっと俺もどことなく寂しかったのだろう。いや違う。 誰かの誕生日にかこつけて酒を飲みたかった。よし、これだ。
だがそんな話をサガが快く承諾するはずがない。元からサガは過保護の部類に入る人間だが、二人で暮らすようになってからその程度はますますひどくなった。まるで俺をペットか何かだと思っているのか、どこに行くと言えば文句を言い、誰と行くと言えば不機嫌そうに顔をしかめる。――いや、ペットっていうのは言いすぎだな。何かと心配してくれている、俺に不自由がないように計らってくれているっていうのは痛いほどわかる。それでも「海底に行く」と言っていい顔をしないのは、すでにわかりきっていることだ。だからどう切り出そうか迷っていた。
前日になってようやくチャンスが巡ってきた。それまで一向に誕生日の話題など出さなかったサガがふいにそんな話をした。こいつを逃したらきっと言い出せない。そう考えて俺は勤めてサガの機嫌を損ねないように時間制限までつけて切り出したんだ。それなのにサガは俺の話を聞くなり唖然とした顔になって、そして次に悪魔が裸足で逃げ出しそうなほど怖い顔で怒鳴りやがった。「ふざけるな」って。
「まったく、俺がいつふざけたんだ」
サガのあまりの剣幕に呆然としてしまったが、はっと我に返ればそんな怒りが湧いてきた。俺はただ予定を伝えただけじゃないか。一日潰れるなんて一言も言っていない。ただ、ちょっと海底に顔を出してくるって、それを言っただけなのに何であんなに怒るんだ。きっと誤解しているに違いない。それならさっさと誤解を解いた方が双方のためだ。何たって、キレちまったら最後、誤解が解けるまでは絶対に口をきいてくれない。
とりあえずサガの後を追おうと思って部屋を飛び出したはいいが、そこでふと俺は足を止めてしまった。今ここで誤解を解いて、サガの怒りは収まるんだろうか。収まるか、収まらないか。二つの選択肢が頭の中にとっさに浮かび、その間で矢印がうろうろとする。
結果として『収まらない』ということになった。きっと今誤解を解いても、明日の朝出て行く時にここぞとばかりに嫌味を言われるに決まっている。それならこっそり海底に向かった方がまだましだ。
そんなわけで俺は、人気のない十二宮の階段をサガが昇っていった方向とは逆の方向――つまり下へと向けて降り始めた。適当に時間を潰せば、約束の時間になるだろう。昔から持て余した時間を潰す方法は嫌ってほど知っている。そんなことを考えながら金牛宮を抜け、白羊宮に差し掛かったところで貴鬼の声が聞こえた。おいおい、もう子供は寝る時間だろう。いつまでも起きているとお前の大好きな『ムウ様』にまた怒られるぞ。それをわざと声に出してみるのもいいと思ったが、そんなことを言ったら今度はムウの怒りの矛先が俺に向いてしまう。あいつに怒られるなんてまっぴらゴメンだぜ。
結局下まで降りてきたはいいが、娯楽が皆無に等しいほどないこの聖域ではどうしようもなく、適当な岩に腰かけて空を見上げた。今夜はやけに晴れていて星が気持ちいいくらい見える。海底ではこんな風景を見ることはできなかった。ちょっと出向いた地上で夜になるのを待って星を見てから帰ったっけな。
それでもじっと空を見続けるのは退屈だ。ちょうど首も痛くなってきて顔を戻し、一声かけて岩から立ち上がる。――そうだ、海へ行こう。海岸線をほっつき歩いていれば時間も潰せるし、海底に行く近道にもなる。
「そうとなれば即実行ってな」
自分にそう言い聞かせて海の方へと歩き出した。この調子ならものの三十分で海につく。誰もいない海を眺めるのもいいし、眠たくなったら砂浜で眠ればいい。そんなことを思い浮かべながら歩き続けて何分経ったのか。ふと人の気配を感じて目を凝らすと、ちょうど俺の向かっている方向から誰かがこちらに近づいてきた。すぐさま立ち止まり、相手の動きを読む。だがあっちは俺に気付いてないようで少しずつ距離を縮め、やがてその姿が確認できるほどになった。
ここで俺はなぜかほっとため息をついた。ただの雑兵だ。どうせ夜警か何かだろう。
「よっ。仕事に精が出るな」
そう声をかけると彼はようやく気付いたらしく、顔を上げて俺に頭を下げた。――昔はこんなことあり得なかったのにな。だが、そんな感慨にふける間もなく、俺は雑兵の言った一言に目を丸くする羽目になった。
「カノン様も夜風を浴びに出られたんですか?」
「俺『も』?」
思わずそう返してしまった俺に雑兵は根絶丁寧に答えてくれた。どうも先ほどサガにも出会いそう言ったらしい。聞き返した俺に訝しげな顔を向けてきたので、とりあえずそんなもんだと答えておいた。喧嘩して飛び出したなんて口が裂けても言えるか。
雑兵との会話を適当に終わらせて俺は目的地を目指すことにした。彼がさっきサガに出会ったと言うのならそのサガ自身も、もしかしたらまだこの辺にいるかもしれない。こんな状態で顔を合わせたらさっき以上に険悪になりそうだ。
そんな風に考えてみて、三十年間気付かなかった自分の性格に気付く。どうやら俺は厄介ごとを背負い込むのが相当嫌な性格らしい。