[望郷]-前編-


「ほら、早くおいで。日が暮れるよ」
「うん。今日の晩ご飯なんだろね?」

 互いに繋がれた手を離さないようにしっかり掴んで、二人はまっすぐ続く野道を家へと急ぐ。
 別に一人で夕暮れの帰り道を行くのが怖いわけではない。帰ろうと思えば帰れるに決まっている。
 それでもこの手を離さないのは、繋がれた手を失うのが何よりも怖かったから。
 それほど二人はお互いになくてはならない存在だった。

 小さかったあの頃は。





「ふるさと?」

 ふいに尋ねられた言葉にカノンは怪訝そうな顔で聞き返した。

「ええ。貴方にもふるさとぐらいあるでしょう?」

 そう言ってソレントは持っていたティーカップを置く。

「……何を企んでいる?」
「別に何も。少し気になっただけです」

 ソレントの顔色を伺うが特に変わった様子はない。
 ただ静かに紅茶を喉に流し込んでいくだけである。

「お前はどこだ」
「オーストリアの片田舎です」
「そうか。俺には……ない」
「ないって。岩の間から生まれたとでもいうのですか?」
「いや、ふるさとなどすでにないのだ」

 カノンは呟くように言うとカップに残っていた紅茶を飲み干した。
 そして静かに席を立ち上がり。

「仕事が残っているのでな。これで失礼する」

 そう言い残して、その部屋を出て行った。

 ソレントはその後ろ姿を見送りながら、少し悲しそうな目をして、先ほどの瞬間感じたカノンの小宇宙を思い出す。

「すでにない、ですか……」

 謎の多い同胞の意外な一面を見た感想はただの虚しさで。
 なぜかこれ以上触れてはいけないような気になって。

 彼がそう思うほど、先ほどのカノンの小宇宙は、薄いガラス玉のように脆く儚いものだった。


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