[Happy, Happy!]-01-
今年もあの日がやってくる。
待ちに待った一年に一度の幸せな日が。
でも今年はもっと幸せなはず。
去年とは違って、あの子も一緒に祝ってくれるんだから。
「ええ!? 視察ですか?」
「そうだ。最近ミロス島でまこと芳しくない事件が起こったのはお前も知っておるであろう? 私自らが赴くのが一番だとは考えておるが、あいにく聖域内のことで手が離せん。そこでお前に出向いてもらおうと思ってな」
先日起こったミロス島での殺人事件を言っているのだろう。そう直感で分かった。何でもその殺し方が半端な方法ではなく、明らかに聖闘士と思われる者によるものだということを。
「その者を見つけ出し、制裁を加えて来い」――教皇は口にこそ出さないが暗にそう伝えてきているのだ。
いつもなら勅令ということで渋々ながらも現地に赴く俺だったが、今回ばかりは少し事情が違う。
「その。出向くのは明日、でしょうか?」
「無論、そうしてもらいたいと思っている」
きっぱりと言い放った教皇の冷たい仮面をちらりと見て小さなため息をつく。
しかし、聖域の統治者がそれを見過ごすはずもなく。
「どうした? 何か不満でもあるのか?」
全てを見抜くような目――それはもちろん仮面の目ではあるが――で見つめられ、俺は少し体を強張らせた。
「あの……」
そこまで口を開いてから、こんなことを言うのはどうなのだろうと考え込む。私事と公務を混ぜた発言であるのは自分自身が一番わかっている。しかし、この方にそれが通じるだろうか。
「何だ? 歯切れの悪い」
教皇は玉座の縁を僅かに指で叩き、その意思を露わにする。首を軽くかしげた様は、いらつきと次に発する俺の言葉を待っているかのように。
「あの……。今晩発ちたいと思うのですが……」
断られることを覚悟の上でそう告げると、リズムを刻んでいた教皇の指がふと動きを止めた。
「ほう? 面倒くさがりのお前が、早くあちらに出向きたいと?」
「はい。相手は理由なく人の命を奪った外道でございます。ならば一刻の猶予も……」
言葉を続けようとした俺の前で軽く手を振ると、彼は側近の者を呼び出し軽く耳うちをする。その伝言を受け取ったのか、側近は軽く会釈をすると、教皇の間から慌てて飛び出していった。
「先方には明日の昼頃こちらから使者を送ると申していたものでな。お前が望むのなら今からでもミロス島に赴くがよかろう」
「では、行って参ります」
「よろしく頼んだぞ。お前にアテナのご加護のあらんことを」
いつもと変わらない言葉を交わすと、俺は教皇宮を後にした。
「何か御用でしょうか?」
真っ白のマントを優雅に払ったサガに目の前の男は仮面を外すと皺だらけの頬を叩き、近くの椅子を顎で示した。
サガがその椅子に腰をかけると、執務室の頑丈な机に教皇は突っ伏して大きなため息をついた。
「教皇。お言葉ですがそのような姿勢を……」
「小言はいらん。それよりお前、何か知らぬか?」
「は?」
いきなりそう切り出したシオンにサガは目を丸くした。しかし年老いた彼はそんなことを別段気にする風もなく、疲れきったように言葉を紡ぐ。
「先ほどアイオロスに少し用を頼んだのだが、普段とえらく様子が違ってな」
「……私にはいつもの彼とにしか見えませんでしたが」
数時間前に顔を合わせた友人を思い浮かべながら、今一度自分でも確認をする。
それを見守っていたシオンも原因を掴めず、少しずつ顔を困惑の色に染めていく。
「ならば、ミロス島に何か原因があるのか?それとも……」
「まさか……! 明日赴けとおっしゃったのでは?」
はっとして一つのことに思い当たったサガがそう口にすると、シオンは目を見開いてサガを凝視した。
「明日、何かあるのか?」
「いえ。明日は彼の、アイオロスの誕生日でございます」
「なんと!」
それだけ叫ぶとシオンは顔をそのしわがれた手で覆った。
「かわいそうなことをしてしもうた!」
「しかしそれは私事でありまして……」
「それでもあの子には特別な日であろう? おい、今すぐアイオロスをここへ!」
そばにいた神官に命じると人馬宮へと使いに出す。
神官が長い裾を引きずりながら出て行くのを見送ると、シオンはまたサガへと視線を移した。
「お前に代わりに行ってもらっても構わんか?」
「私は何も異存はございません」
「ならば、お前に命じよう。ミロス島に赴き、先日起こった事件の詳細を私に報告するように」
そう伝えたシオンの顔は先ほどまでの彼とは違い、「教皇」としての威厳を込めたものだった。
「教皇……」
先ほど出ていった神官がおずおずと執務室に入ってくる。
「おお! アイオロスをここへ」
「それが、申し上げにくいのですが……」
言いにくそうに言葉を濁した神官は呼吸を一つおくと。
「アイオロス様はすでにミロス島に向け発たれたとのことです」
人馬宮を警備する雑兵から聞いたことをそのまま伝えた神官の言葉に、シオンは絶望の色をあらわにした。その表情は常に仮面の下の顔を見ているサガや神官でさえも驚くほどのもので。
「し、しかし任務を遂行すればすぐ戻ってくるわけですし……」
「慰みはいらん」
必死にフォローするサガの声を一刀両断するとシオンは机に顔を埋めた。
「すまんかったな、サガ。もう下がってよいぞ」
「はい」
「それからお前も……。しばらく一人にしてくれんか」
「は、はい」
指をさされ困惑した神官と共にサガは廊下へと出ると、教皇の異常なまでの落胆ぶりに首をかしげた。
「ニコス」
「はい、何でございましょう?」
神官の名を呼ぶと、まだ若い神官は慈愛に満ちた目でサガに視線を合わせた。
「なぜ、教皇はあそこまで落胆されるのだろうか?」
それまでさほど疑問にも思っていなかっただけに、一度頭をもたげた疑問はサガの脳内を支配していく。子供ながらに眉間にしわを寄せ、表情を曇らせたサガに彼はにっこりと笑いかけると。
「あの方は何よりも自分の配下の者を思ってくださっているのですよ」
そう言って自分の知る限りのことを話してくれた。シオンがささやかながらも神官や雑兵の誕生日まで祝ってくれること。自分に至ってはヨルティ(※)までも祝ってくれたこと。そして何より、誕生日は何物にも捕らわれず、近しい者と平穏に暮らすべきだと考えていること。
「ここの多くの者が家族を失っていることに、あの方はとても深い悲しみを感じておられるのです」
その言葉を聞いてサガは少し自分の考えを恥じた。今まで「冷たい人間」としてしか彼を見たことはなかった。弟に酷い運命を与えた男、それだけしか考えたことはなかった。まさか、そのような感情を持った人間だったとは。
「そうか。よくわかったよ。ありがとう」
話を聞いて軽く微笑んだサガに、彼もほっとため息をつく。
「それでは私はこれで」
最後にそう告げると、神官はそばにあった神官の執務室へと姿を消した。
※ヨルティ[γιορτη](ギリシャ語)
キリスト教の聖者の名にちなんで定められた日。一つの名前につき一年に一度、ヨルティが定められている。ギリシャ正教徒の多いギリシャでは、子供にキリスト教の聖者の名前をつけることが多く、その名前の聖者の日に盛大な祝い事を行う。ここに出てきた「ニコス」も代表的な名前の一つ。(出典:Miwa's blue world)